2025年12月19日

交通・屋外広告

広告代理店の研修シリーズ① 開幕

 

広告業界という世界に足を踏み入れた瞬間、多くの新人が直面するのは言葉の壁だ。
会議室で飛び交う専門用語、現場で当たり前のように使われる略語、そしてクライアントとのやり取りで求められる独特の言い回し。これらの言葉がわからなければ、どれだけ優秀な人材でも、最初の数ヶ月は霧の中を歩くような感覚に陥る。

しかし、言葉さえ理解できれば、仕事の8割は見えてくる。なぜなら、広告業界の仕事は言葉によって動いているからだ。
企画書に書かれた言葉、クライアントが発した言葉、デザイナーに伝える言葉、そして媒体社と交わす言葉。これらすべてが、一つの広告を世の中に送り出すための設計図になる。

このシリーズでは、広告代理店に入社した新人プランナー・佐藤の成長を通して、広告業界で必要な基礎知識を学んでいく。交通広告の現場で人の流れを読み、WEB広告でデータの見方を覚え、クライアント対応で空気を読む技術を身につけ、法務審査で表現の限界を知る。様々な部署をローテーションしながら、佐藤は一人前のプランナーへと成長していく。
新人の方は「これから自分が経験すること」として、ベテランの方は「あの頃の自分」を思い出しながら読んでいただければ幸いだ。

 

言葉の壁

佐藤が広告代理店に入社したのは、桜が散り始めた4月のことだった。
入社式と全体研修を終え、配属先が決まったのは、その1週間後。朝8時45分、真新しいスーツに身を包み、オフィスビルの15階にある交通メディア部へ向かう。定時の15分前、ちょうど多くの社員が出社する時間だ。

エレベーターの扉が開くと、すでにフロアは慌ただしく動き始めていた。電話の声、キーボードを叩く音、そして飛び交う会話。
「このKV、トンマナ合ってる?」
「今日中に上げないと、クライアントに間に合わないわ。」
「温度感、ちょっとズレてない?」

佐藤は立ち止まった。日本語のはずなのに、意味がわからない。KV?トンマナ?温度感?
大学の広告論では、マーケティングの4Pやブランド戦略について学んだ。でも、こんな言葉は一度も出てこなかった。教科書には載っていない、現場だけで使われる言葉が、ここには溢れている。

「佐藤くん、おはよう。」
声をかけてきたのは、人事から紹介された先輩の小林だった。20代後半、ショートカットの髪に、落ち着いた雰囲気の中にも現場を知り尽くした鋭さがある。
「今日から研修が始まるのよ。まず、部長に挨拶しましょう。」

 

 

 

配属という新しい世界

部長の渡辺は、50代前半。業界歴30年のベテランで、穏やかな笑顔の奥に、数え切れないほどの修羅場を乗り越えてきた経験が滲んでいる。

「佐藤くん、ようこそ。交通メディア部へ。」
渡辺部長は佐藤に椅子を勧めた。
「広告代理店の仕事は、単に広告を作るだけじゃない。クライアントの課題を理解し、最適な媒体を選び、クリエイティブを制作し、審査を通し、印刷・製作し、掲出する。その全体の流れを理解することが、プランナーとしての第一歩になる。」

渡辺部長は、デスクの上の資料を開いた。
「君には、まず交通メディア部で1週間、交通広告の基礎を学んでもらう。その後、数ヶ月間、実務を経験してもらう。そして、ある程度仕事に慣れたら、別の部署へ異動してもらう予定だ。」
「別の部署、ですか。」
「そう。デジタルマーケティング部、営業企画部、法務・コンプライアンス部。様々な部署をローテーションすることで、広告ビジネス全体を理解してもらう。これが、当社の新人教育プログラムだ。」

渡辺部長は、佐藤の目をまっすぐ見た。
「広告の仕事は、一つの専門分野だけでは成立しない。媒体の知識、デジタルの知識、営業の知識、法律の知識。すべてが繋がって、初めて一人前のプランナーになれる。焦らず、一つ一つ、確実に学んでいってほしい。」
佐藤は頷いた。不安はあったが、ワクワクする気持ちの方が大きくなっていく。

 

広告を作るということ

「まず、基本を確認しておくわね。」
小林先輩が、佐藤の隣に座った。
「広告代理店は、クライアント、つまり広告主と、媒体社、つまり新聞社、テレビ局、鉄道会社などの間に立つ存在なの。クライアントは『商品を売りたい』『認知を広げたい』という課題を持っている。私たちは、その課題を解決するために、最適な媒体と表現を提案するのよ。」

 

小林先輩はノートに簡単な図を描いた。

クライアント → 広告代理店 → 媒体社

制作会社・印刷会社

「例えば、新しい飲料を発売するクライアントがいたとする。ターゲットは20代の女性。どの媒体に広告を出すべきか?」
佐藤は少し考えて答えた。
「InstagramやTikTokでしょうか。」
「正解。でも、それだけじゃない。」
小林先輩は続ける。
「SNS広告で認知を取りつつ、駅貼りポスターで通勤中の接触を狙う。駅のサインボードで毎日目に入るようにして、商品の魅力を伝える。そして、購入後のアンケートでデータを取り、次の施策に活かす。これが、クロスメディア戦略なのよ。」

佐藤は、広告の奥深さを感じ始めていた。
「私たちの仕事は、単に広告を作ることじゃない。クライアントのビジネス全体を理解し、最適な接点を設計し、効果を最大化すること。そのために、あらゆる媒体の特性を知り、データを読み、法律を理解する必要があるの。」
小林先輩は、佐藤の目を見た。
「だから、最初の壁は言葉なのよ。」

 

言葉が見せる景色

「さっき、フロアで聞こえた言葉、意味わからなかったでしょ?」
小林先輩は笑った。佐藤は素直に頷く。

「KVは、キービジュアル。広告の中心となるメイン画像のこと。トンマナは、トーン&マナー。ブランドの世界観や表現の統一ルールね。温度感は、クライアントや関係者の期待値や重要度の感覚のことよ。」
佐藤は慌ててメモを取った。
「広告業界には、独特の言葉がたくさんあるの。交通広告なら、駅貼り、中づり、窓上、1クール、ロット、サインボード、建植看板。WEB広告なら、リーチ、インプレッション、CTR、CVR。クライアント対応なら、腹落ち、温度感、バッファ、切り戻し。法務審査なら、優良誤認、有利誤認、薬機法、景品表示法。」
小林先輩は続けた。
「これ全部、最初は呪文にしか聞こえないわよね。でも、言葉がわかれば、仕事の8割は見えてくる。逆に、言葉がわからないと、会議で何が話されてるのか、まったく理解できないの。」

佐藤は、朝のフロアの光景を思い出した。確かに、言葉がわからないと、何も掴めない。
「だから、わからない言葉は、その場で聞いて。後で聞こうと思っても、忘れちゃうから。でも、会議中は空気を読んで、後で先輩に聞くのがいいわね。」
小林先輩は、少し真剣な顔になった。

「もう一つ、大事なことがあるの。この業界は、複数の案件が同時に動いてることが多い。私も今、5つくらいの案件を並行して進めてるわ。それぞれの案件が、違う段階にあるの。企画中のもの、制作中のもの、入稿待ちのもの、掲出済みのもの。」
「5つも、ですか。」
「そう。だから、スケジュール管理がすごく大事。どの案件が今どの段階にあって、次に何をしなきゃいけないか。常に頭の中で整理しておく必要があるのよ。」
佐藤は、少し不安になった。

「でも、当社は残業を減らす方針を取ってるから、基本的には定時で帰れるわ。そのためには、日中の時間を効率的に使うことが大事なの。予定より早めに動く。締切の前日には完成させておく。これができるかどうかで、プランナーとしての評価が決まるわ。」
佐藤は、深く頷いた。

 

1週間という旅の始まり

「じゃあ、今週の流れを説明するわね。」
小林先輩は、スケジュール表を開いた。

「今週は、私が担当してる複数の案件に、それぞれ同行してもらうわ。案件ごとに、違う工程を見てもらう。そうすることで、1週間で、広告制作の全体の流れが理解できるようになるの。」

月曜日:プランニング
「月曜日は、化粧品ブランドの新規案件。クライアントに提案する媒体プランを作るわ。どの駅にポスターを貼るか、どこにサインボードを設置するか。予算は500万円。ターゲットは20代から30代の働く女性よ。」
「これが、企画フェーズね。クライアントの課題を理解して、最適な媒体を選ぶ。ここが、すべての出発点なの。」
火曜日:デザイナーとの打ち合わせ
「火曜日は、アパレルブランドの案件。もう企画は通ってて、今は制作フェーズ。デザイナーと一緒に、キービジュアルを作る打ち合わせに同行してもらうわ。」
「デザイナーとのやり取りは、また別のスキルが必要なの。言葉の選び方とか、イメージの伝え方とか。ここで、トンマナの重要性を理解してもらうわね。」
水曜日:クライアントプレゼン
「水曜日は、月曜日に作った化粧品ブランドの媒体提案を、クライアントにプレゼンするわ。佐藤くんは横で見てるだけでいいから。でも、クライアントがどういう反応をするか、どういう質問をするか、しっかり見ておいて。」
「プレゼンは、企画を説明する場じゃない。クライアントの心を動かす場。ここで承認をもらえないと、すべてが止まってしまうのよ。」
木曜日:入稿作業
「木曜日は、飲料メーカーの案件。もう制作も終わって、今週印刷会社に入稿するの。制作部の担当者と一緒に、入稿データのチェックをしてもらうわ。」
「入稿作業って、地味だけど、すごく重要なの。サイズ、解像度、ファイル形式。一つでも間違えると、やり直しになる。ここで、細部へのこだわりを学んでもらうわね。」
金曜日:電照看板の貼り替え立ち会い
「金曜日の夜は、家電メーカーの案件。先週までに印刷会社に発注済みの電照看板用フィルムが完成して、今週末に貼り替え作業があるの。施工管理部の担当者と一緒に、現場に立ち会ってもらうわ。」
「金曜日の夜、ですか?」
「そう。地下鉄のホーム対向壁にある電照看板は、線路に近いから、終電後じゃないと作業できないの。地下鉄は架線じゃなくて、線路の横に第3軌条っていう高圧電流が流れてる軌条があるのよ。600から750ボルトの電気が流れてるから、足場とかが接触したら危険。だから、き電を停止してから作業するの。き電停止、作業責任者、深夜の駅構内。広告の裏側を、目で見て学んでもらうわね。ただ、これは研修だから特別に同行するけど、通常は施工管理部の担当者が対応するの。」

 

小林先輩は、少し真剣な表情になった。
「金曜日の夜は遅くなるけど、大丈夫?前日はしっかり休んでおいてね。」
「はい、大丈夫です。」
「よかった。深夜作業だから、当然、後日代休が取れるわよ。山本さんたち施工管理部の人たちも、深夜作業の後は必ず代休を取るの。当社は、労働時間の管理をしっかりしてるから、安心して。」
「じゃあ、この1週間で、広告制作の全体の流れを体で覚えてもらうわ。企画、制作、審査、入稿、製作、掲出。すべての工程を、一つ一つ見ていきましょう。」

 

一つの広告ができるまで

「もう少し、広告の流れについて説明しておくわね。」
小林先輩は、新しいページを開いた。
「広告は、大きく分けて6つのフェーズで動いてるの。企画、制作、審査、入稿、製作、掲出。この6つよ。」

 

企画フェーズ
「企画フェーズでは、クライアントの課題を理解して、ターゲットを設定して、どの媒体に広告を出すかを決める。ここで最も重要なのは、クライアントとの認識合わせなの。温度感がズレたまま進むと、後で必ず切り戻しになるわ。」
制作フェーズ
「制作フェーズでは、デザイナーやコピーライターと一緒に、実際の広告物を作る。ここで重要なのは、トンマナを守ること。ブランドの世界観を壊さないように、細部まで気を配る必要があるの。」
審査フェーズ
「審査フェーズでは、媒体社に意匠審査を依頼する。デザインが掲出基準に合っているか、表現に問題がないかをチェックしてもらうのよ。ここで引っかかると、デザインを修正しなきゃいけないから、スケジュールが遅れることもあるわ。」
入稿フェーズ
「入稿フェーズでは、印刷会社にデータを入稿する。ここで重要なのは、入稿規定を守ること。サイズ、解像度、ファイル形式。一つでも間違えると、差し返しになるわ。」
製作フェーズ
「製作フェーズでは、印刷会社が実際にポスターやサインボードを製作する。印刷には3日から4日かかるから、スケジュールに余裕を持って進めないといけないの。色校正で色味を確認して、問題なければ本印刷に進むわ。」
掲出フェーズ
「掲出フェーズでは、実際に広告が世の中に出る。媒体社が掲出作業を行って、私たちは現地で確認する。掲出後のチェックも大事な仕事なの。写真を撮って、クライアントに報告するわ。」

 

小林先輩は、佐藤を見た。
「この6つのフェーズを、1週間かけて体験してもらうの。それぞれのフェーズで使われる言葉、求められるスキル、そして注意すべきポイント。すべてを、現場で学んでほしいわ。」

 

失敗という成長のチャンス

「最後に、一つだけ。」
小林先輩は、窓の外に目をやりながら言った。
「広告の仕事は、華やかに見えるかもしれない。でも、実際は地味な作業の積み重ねなの。数字を読んで、スケジュールを管理して、関係者と調整して、細かい修正を繰り返す。」
小林先輩は続ける。
「でも、だからこそ面白いのよ。自分が関わった広告が、街に出る。人々の目に触れる。誰かの心を動かす。その瞬間を味わえるのは、この仕事の特権なの。」

佐藤は、窓の外を見た。ビルの向こうに、駅のホームが見える。そこには、たくさんのポスターが並んでいる。
「失敗してもいいわ。むしろ、失敗しながら学んでほしい。差し返しになっても、切り戻しになっても、それは成長のチャンスなの。大事なのは、同じ失敗を繰り返さないこと。そして、失敗から学んだことを、次の案件に活かすこと。」
小林先輩は、優しく笑った。

「1週間後、あなたは今とは違う景色を見てるはずよ。言葉の意味がわかって、現場の空気が読めて、広告の流れが理解できてる。それが、プランナーへの第一歩なの。」
佐藤は、深呼吸をした。
「頑張ります。」

 

扉の前に立つ

研修初日の夕方、佐藤は自分のデスクに座り、今日学んだことをノートに書き出した。

KV、キービジュアル。
トンマナ、トーン&マナー。
温度感、クライアントや関係者の期待値。
駅貼り、中づり、窓上、1クール、ロット、サインボード、建植看板。
リーチ、インプレッション、CTR、CVR。
腹落ち、切り戻し、バッファ。
優良誤認、有利誤認、薬機法、景品表示法。

まだ、すべての意味を完全には理解できていない。でも、言葉の存在を知ることができた。これから1週間、これらの言葉を、現場で使いながら覚えていく。

窓の外を見ると、夕暮れの街に明かりが灯り始めていた。ビルの壁面には大きな広告が輝き、駅のホームにはポスターが並んでいる。あの広告は、誰が作ったのだろうか。どんな課題があって、どんな提案をして、どんなプロセスを経て、あの場所に掲出されたのだろうか。
1週間後、自分もあの広告を作る側の一員になれるのだろうか。

佐藤は、ノートを閉じた。
明日から、広告業界の本当の世界が始まる。言葉を覚え、現場を知り、失敗しながら学んでいく。それが、プランナーへの道だ。
「よし、やってやろう。」
佐藤は、小さく呟いた。

時計を見ると、午後5時半。定時だ。
小林先輩が、声をかけてきた。
「佐藤くん、今日はここまで。お疲れ様。明日も朝から研修だから、早めに帰って休んでね。」
「はい、ありがとうございました。」
佐藤は、パソコンをシャットダウンして、オフィスを後にした。
エレベーターを降りて、ビルの外に出ると、夜の街が広がっていた。
ネオンサイン、デジタルサイネージ、駅のポスター。
街は、広告で溢れている。
明日から、この広告たちが、どうやって作られているのかを学んでいく。

佐藤は、深呼吸をして、駅へと歩き出した。

 

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