2026年3月23日
その他暗黙知が広告を動かす 伝わる広告コミュニケーションの仕組み
4月を迎えると、多くの企業に新入社員が入ってきます。研修で名刺の渡し方を覚え、業界用語を必死にメモして、先輩の営業に同行する日々が始まります。ところが現場に出てみると、研修で習ったことだけではうまくいかない場面にたくさん出くわします。
たとえば、取引先との打ち合わせで先輩が絶妙なタイミングで話題を切り替える瞬間。
「あの場面で、なぜ話を変えたんですか」と聞いても、「なんとなく、そろそろかなと思って」という答えが返ってくる。マニュアルにはどこにも書かれていない、でも確かにそこにある知識。これが「暗黙知」と呼ばれるものです。
暗黙知は、職場の中だけにあるわけではありません。じつは広告コミュニケーションの世界にも、暗黙知は深く関わっています。
消費者がある商品を「なんとなく信頼できる」と感じたり、「このブランドはよく見かけるから安心だ」と思ったりする感覚の裏側には、言語化しにくい知識の蓄積があります。
ここでは、暗黙知という概念を手がかりに、広告がどのようにして人の心に届いているのかを掘り下げていきます。
暗黙知とは何か
暗黙知という言葉は、ビジネスの現場でもよく耳にするようになりました。しかし、その意味を正確に理解している方は意外と少ないかもしれません。
暗黙知の概念を最初に提唱した人物にさかのぼりながら、この知識の本質を見ていきましょう。
ポランニーが見出した「語れない知」

暗黙知という概念を提唱したのは、ハンガリー出身の科学者マイケル・ポランニーです。
ポランニーはもともと物理化学の分野で大きな業績を残した研究者でしたが、1940年代ごろから科学哲学や社会科学の領域に関心を移し、人間の知識のあり方について独自の理論を展開しました。
ポランニーは1966年に刊行した著書『暗黙知の次元』の中で、人間の知識には言語で表現できるものだけでなく、言葉にできない非言語的な知が存在することを指摘しました。彼がこの概念を説明するために用いた代表的な例が「人の顔の認知」です。
私たちは知り合いの顔を、大勢の人の中からでも見分けることができます。しかし、どうやってその顔を見分けているのかと聞かれると、うまく説明することができません。目の大きさや鼻の形といった個々の特徴を挙げることはできても、それらをどのように組み合わせて一瞬で判別しているのかは、言葉では表現しきれないのです。
ポランニーはこのことを「私たちは言葉にできるより多くのことを知ることができる」と表現しました。この考え方が暗黙知の出発点です。
暗黙知とは、単に「まだ言語化されていない知識」ではなく、本質的に言語化が困難な、身体や感覚に根ざした知のことを指しています。
ここで注意しておきたいのは、暗黙知という言葉がビジネスの現場で使われるときと、ポランニーが本来意図した意味とでは、少しニュアンスが異なるという点です。
ビジネスでは「言語化しにくいがすでに存在しているノウハウや勘」という意味で使われることが多いのですが、ポランニーが着目したのは「知識が形成される際に、意識できないまま働いているプロセスそのもの」でした。つまり、暗黙知とは知識の「中身」だけでなく、知識が生まれる「仕組み」の側面も含んでいるのです。
この区別を意識しておくと、暗黙知をより深く理解することができます。
職場で共有される暗黙知
暗黙知は私たちの日常のあらゆる場面に存在しています。自転車に乗れるのに、その乗り方を言葉だけで人に教えるのは難しい。料理の味付けで「ちょうどいい加減」がわかるのに、それを数値で説明しきれない。こうした経験は、だれにでも心あたりがあるのではないでしょうか。
職場においても暗黙知は至るところに潜んでいます。
先輩社員が見積書を見ただけで「この案件はもう少し条件を詰めたほうがいい」と判断できるのも、長年の経験から蓄積された暗黙知が働いているからです。会議で発言するタイミングの見極め方、メールの文面から相手の温度感を読み取る力、クレーム対応でまず何を伝えるべきかという優先順位の判断。
こうした能力はいずれもマニュアルには載っていませんが、仕事の成果を大きく左右します。
新入社員が最初に戸惑うのは、こうした暗黙知の存在に気づいていないからだといえます。マニュアルに書かれた手順どおりに進めているのに、なぜかうまくいかない。その「なぜか」の部分に、暗黙知が隠れています。
野中郁次郎のSECIモデルと知識創造
暗黙知を経営やビジネスの文脈で体系化したのが、一橋大学名誉教授の野中郁次郎氏です。
野中氏は1995年に竹内弘高氏との共著『知識創造企業』を刊行し、暗黙知と形式知の相互作用によって組織が新しい知識を生み出していくプロセスを「SECIモデル」として理論化しました。
SECIモデルは、共同化、表出化、連結化、内面化という4つのプロセスで構成されています。
共同化とは、個人が持つ暗黙知を他の人と共有するプロセスです。たとえば新入社員が先輩に同行して営業の現場を体験し、言葉にならない「空気の読み方」を感覚的に学ぶ場面がこれにあたります。
表出化は、共有された暗黙知を言葉やコンセプトとして明確にするプロセスです。
連結化は、形式知化された知識を組み合わせて新しい知識体系をつくること。
そして内面化は、体系化された知識を実践の中で自分のものにしていくことです。
この4つのプロセスが繰り返し循環することで、個人の暗黙知が組織全体の知識へと発展していきます。野中氏は2025年1月に逝去されましたが、SECIモデルは世界中で引用される経営理論として、いまも多くの企業や研究者に活用されています。
広告コミュニケーションの中にある暗黙知
暗黙知は職場のナレッジマネジメントだけの話ではありません。視点を変えてみると、広告と消費者の関係にも、暗黙知と同じ構造が見えてきます。
消費者のブランド認知は暗黙知でできている

スーパーマーケットで洗剤を買うとき、棚に並んだ商品の中から迷わず特定のブランドを手に取ることがあります。「なぜその商品を選んだのですか」と聞かれると、「品質がいいから」「いつも使っているから」と答えるかもしれません。
しかし、その商品の品質を客観的に比較検証したことがある人はほとんどいないでしょう。
じつは、消費者がブランドに対して抱いている信頼感や親しみは、その多くが暗黙知的な性質を持っています。
テレビCMで何度か見た記憶、通勤途中に駅で目にしたポスター、知人が使っているのを見かけた経験。こうした断片的な情報が、意識されないまま積み重なって「なんとなく知っている」「なんとなく信頼できる」という感覚をつくり出しています。
買い物をするとき、私たちは自分で思っているほど理屈で選んでいるわけではありません。なんとなくこっちがよさそうだ、この会社なら安心できそうだ。そうした感覚が先にあって、価格や機能の比較は後から来ることが多いのです。この「なんとなく」の判断を支えているのが、言葉にしにくい暗黙知の領域です。
「なんとなく知っている」が購買行動を左右する
では、この暗黙知的なブランド認知は、消費者の行動にどのように影響するのでしょうか。
広告の分野では、ブランドの思い出されやすさを測る方法の一つに、非助成想起という調査手法があります。商品カテゴリだけを提示して「思い浮かぶ企業はどこですか」と聞く方法です。ここで最初に名前が出てくるブランドは、消費者にとって「なんとなく知っている」を超えて、カテゴリと結びついた存在になっています。
この記憶のポジションを獲得しているかどうかが、実際に購入を検討する段階で候補に入るかどうかを大きく左右します。そして、このポジションは一回の広告接触でつくられるものではなく、日常の中での繰り返しの接触によって少しずつ積み上がっていくものです。
広告が暗黙知をつくる仕組み
では、広告はどのようにして消費者の中に暗黙知を形成しているのでしょうか。ポランニーの暗黙知理論に照らすと、その仕組みが見えてきます。
ポランニーは暗黙知の構造を「近接的項目」と「遠隔的項目」という二つの要素で説明しました。
近接的項目とは、私たちが直接注目しているわけではないけれど、認識の手がかりになっている細部のことです。遠隔的項目とは、それらの細部を統合して認識される全体像のことです。
人の顔を認識するとき、私たちは目や鼻や口という個々のパーツ(近接的項目)に注目しているのではなく、それらを統合した「その人の顔」(遠隔的項目)を認識しています。
広告も同じです。消費者は広告を見るとき、キャッチコピーの一語一語や色使いの細部を意識的に分析しているわけではありません。しかし、それらの要素は近接的項目として無意識のうちに取り込まれ、統合されて「このブランドは信頼できそうだ」「この商品は自分に合いそうだ」という全体的な印象(遠隔的項目)をかたちづくります。
この過程は、まさに暗黙知が形成されるプロセスそのものです。
交通広告・屋外広告と暗黙知の親和性
暗黙知の形成には、繰り返しの接触と生活空間への自然な溶け込みが重要です。この点で、交通広告や屋外広告は暗黙知をつくるメディアとして独自の強みを持っています。
反復接触が暗黙知を積み上げる

暗黙知は一度の経験で形成されるものではありません。何度も繰り返し同じ状況に身を置くことで、少しずつ蓄積されていきます。職人の技術が長年の修練によって磨かれるように、消費者のブランド認知も繰り返しの広告接触によって積み上がっていきます。
交通広告の大きな特徴は、通勤や通学で毎日同じ路線を利用する人に対して、自然な形で反復接触を実現できることです。
ジェイアール東日本企画とNRI(野村総合研究所)の共同研究では、交通広告が生活動線上にあることで高い頻度の接触が生まれ、短期間でのリーチの積み上げにおいて他のメディアを上回る力があることが示されています。
さらに同研究では、JR東日本トレインチャンネルに10週間以上長期出稿した事例において、交通広告接触者は非接触者に対してブランド認知が12ポイント上昇し、これは5週間出稿した場合の約4倍のリフト値であったことが報告されています。
また、広告やサービスに対してポジティブな回答をした人の約60パーセントが8週以上の継続的な乗車経験を持っていたことから、長期にわたる反復接触がブランドへの好意的な認知を育てることが確認されています。
生活空間に溶け込む広告の強み
交通広告のもうひとつの特徴は、「自主視認」のメディアであるという点です。
テレビCMやWeb広告のように視聴を中断させたり、コンテンツの前に挟み込まれたりするのではなく、生活者の視界に自然に入ってくる形で接触します。広告を見ることが強制されないため、生活者に嫌われにくく、忌避されにくいという性質があります。
この「嫌われにくさ」は、暗黙知の形成にとって重要な条件です。
ポランニーの理論では、暗黙知は注意を向けている対象そのものではなく、その背景にある手がかりから生まれます。つまり、広告が視界の中に「ある」ことは認識しているけれど、積極的に注目しているわけではないという状態が、かえって暗黙知的な認知の形成に適しているのです。
電車の中で何気なく目にする中づりポスター。駅の通路を歩きながら視界に入る柱巻き広告。これらは「見よう」として見るのではなく、日常の風景の一部として自然に接触しています。
だからこそ、消費者は広告の内容を逐一記憶していなくても、「なんとなく見たことがある」「どこかで知っている」という暗黙知的な認知が蓄積されていくのです。
デジタル広告との役割の違い
デジタル広告は、クリック率やコンバージョン率といった指標で効果を即座に測定できるメディアです。ターゲティングの精度が高く、興味関心を持つ層に効率よくリーチできるという強みがあります。しかし、デジタル広告は基本的に「今すぐの行動」を促すことに最適化されたメディアであり、暗黙知的なブランド認知を長期的に積み上げるという役割は必ずしも得意ではありません。
広告ブロック機能の普及やバナーブラインドネス(消費者が広告領域を無意識に無視する現象)の問題もあり、デジタル広告だけでは消費者の暗黙知に到達しにくくなっています。一方で交通広告は、広告ブロックされることがなく、生活者の行動を遮ることなく確実に視界に入るという特性を持っています。
メトロアドエージェンシーが実施した東京メトロの中づりポスターによる効果検証では、食品ブランドの広告を中づりで展開したところ、メインターゲット層でブランド認知率が上昇したことが報告されています。さらに、小売店の店頭サイネージと組み合わせた場合には、掲出前を基準とした販売数のPI値が139パーセントまで上昇するという実売への効果も確認されました。
交通広告で蓄積された暗黙知的な認知が、店頭での接触をきっかけに購買行動として表面化した好例といえます。
ジェイアール東日本企画と野村総合研究所の共同研究でも、年間の広告予算をテレビとWebだけで運用するよりも、交通広告を組み合わせた3つのメディアで展開したほうが、購入意向が年間を通じて高い水準で安定することが確認されています。デジタル広告が「形式知」的な明示的メッセージで消費者の行動を促すメディアだとすれば、交通広告は「暗黙知」的な潜在的認知を育てるメディアだといえるでしょう。
暗黙知の視点で広告戦略を見直す
暗黙知という概念は、広告の計画や評価のしかたを見直すヒントにもなります。SECIモデルの枠組みを広告コミュニケーションに当てはめてみると、新しい視点が開けてきます。
SECIモデルを広告コミュニケーションに重ねる

SECIモデルの4つのプロセスは、広告によるブランド認知の形成過程にも重ねて考えることができます。
まず「共同化」にあたるのが、消費者が広告に繰り返し接触し、ブランドに対する暗黙知を蓄積していく段階です。交通広告で毎日同じブランドのポスターを目にすることで、消費者の中に言語化されない親しみや信頼感が育っていきます。
次の「表出化」は、蓄積された暗黙知が言語化される段階です。消費者が友人に「あのブランド、最近よく見かけるよね」と話題にしたり、SNSで広告の感想を投稿したりする行為がこれにあたります。口コミやSNS投稿は、消費者個人の中にあった暗黙知が形式知として外に出てくる瞬間です。
「連結化」は、個々の消費者から発信された形式知が組み合わさって、社会的な評判やブランドイメージとして定着していくプロセスです。そして「内面化」は、そうした社会的評価を受けて、消費者が実際に商品を購入し、使用体験を通じて新たな暗黙知を獲得していく段階です。この暗黙知がまた共同化のプロセスに入っていくことで、ブランドへの信頼はさらに深まっていきます。
広告戦略を考える際に、このSECIの循環を意識すると、各メディアの役割がより明確になります。
交通広告や屋外広告は主に「共同化」の段階を担い、消費者の中に暗黙知的なブランド認知をつくります。WebサイトやSNS広告は「表出化」や「連結化」の段階で消費者の認知を具体的な情報や行動に結びつけます。そして商品の購入や利用という「内面化」の体験が、次のサイクルの起点となっていくのです。
「見えない効果」を信じられるか
交通広告や屋外広告に対して「効果が見えにくい」という声を聞くことがあります。デジタル広告のようにクリック数やコンバージョン数で即座に成果を測れないことが、その理由のひとつです。
しかし暗黙知の視点から見ると、この「見えにくさ」こそが交通広告の本質的な価値につながっています。暗黙知は、測定しにくいからといって存在しないわけではありません。
職人の熟練した技術も、ベテラン営業の商談の呼吸も、数値では測りきれない暗黙知に支えられています。同様に、交通広告がつくり出す「なんとなく知っている」「なんとなく信頼できる」という消費者の認知も、定量的な指標だけでは捉えきれない暗黙知の蓄積です。
もちろん、効果測定の技術は着実に進歩しています。
位置情報を活用したブランドリフト調査では、交通広告の接触者と非接触者の態度変容を比較することが可能になっています。しかしそれでも、暗黙知的な認知の全体像を完全に数値化することは難しいでしょう。大切なのは、見えにくい効果の存在を理解した上で、短期的な成果指標と長期的なブランド構築のバランスを取ることです。
新入社員に伝えたい「広告の暗黙知」
冒頭で触れたように、新入社員が職場で最初に出会う壁は暗黙知の壁です。広告業界においても、それは同じです。
メディアの特性やマーケティング理論は研修で学べますが、「この案件にはこの媒体が合う」という判断や、「このクリエイティブは刺さる」という感覚は、経験を積む中で身につく暗黙知です。
そしてもうひとつ、広告業界で働く人に理解してほしいのは、広告そのものが消費者の暗黙知をつくる仕事だということです。
派手な話題づくりや即効性のある施策だけが広告の価値ではありません。日々の生活の中で消費者の視界に自然に入り、少しずつブランドへの親しみと信頼を積み上げていく。そうした地道なコミュニケーションの積み重ねが、消費者の購買行動を静かに動かしているのです。
以前のコラム「『広告を見る目』を育てる 新人研修で伝えたい、企業を読み取る視点」では、広告を読み解く力が仕事の質を高めるという話をしました。今回のテーマはその延長線上にあります。広告の裏側にある「暗黙知」の存在を知ることは、広告の効果を正しく理解し、より良い提案をするための第一歩になるはずです。
まとめ
暗黙知とは、言葉にできないけれど確かに存在する知識のことです。マイケル・ポランニーが「人の顔の認知」を例に示したこの概念は、職場での技能伝承にとどまらず、広告コミュニケーションの本質にも深く関わっています。
消費者がブランドに対して抱く「なんとなく知っている」「なんとなく信頼できる」という感覚は、広告への反復接触によって蓄積された暗黙知です。とりわけ交通広告や屋外広告は、生活空間に自然に溶け込みながら繰り返し接触を重ねることで、消費者の中に暗黙知的なブランド認知を育てるメディアとして、独自の強みを発揮します。
デジタル広告の即効性と、交通広告・屋外広告のブランド蓄積効果。この両方を理解した上で、最適なメディアの組み合わせを設計することが、これからの広告戦略に求められています。
野中郁次郎氏が提唱したSECIモデルのように、暗黙知と形式知を循環させることで新しい価値が生まれるのだとすれば、広告においても「見える効果」と「見えない効果」の両方を視野に入れた戦略設計が、ブランドの持続的な成長につながるはずです。
広告の効果は、目に見える数字だけでは語りきれません。見えない部分にこそ、大きな価値が眠っていることがあります。
交通広告や屋外広告の活用をお考えの方、あるいは「自社の広告が消費者にどう届いているのか」を見直したいとお考えの方は、ぜひお気軽にお問い合わせフォームからご相談ください。暗黙知の力を活かした広告コミュニケーションのご提案をさせていただきます。






