2025年12月25日

交通・屋外広告

広告代理店の研修シリーズ⑤ 入稿

 

OJT4日目の木曜日。今日は、飲料メーカーの案件で、印刷会社への入稿作業に同行する。企画、制作、プレゼンと経験してきた佐藤が、次に学ぶのは、データを完成させる工程だ。

広告制作において、入稿作業は地味だが、極めて重要な工程だ。サイズ、解像度、ファイル形式。一つでも間違えると、差し返しになり、スケジュールが遅れてしまう。
ここでは、佐藤が制作部の担当者と一緒に、入稿作業を体験する様子を説明していく。

 

木曜日の朝

木曜日の朝、佐藤が会社についたのは8時58分。電車の遅延で心配したが、ぎりぎり間に合った。
今日は、飲料メーカーの案件で、印刷会社への入稿作業がある。小林先輩が担当している案件の一つで、すでにデザインは完成し、クライアントの承認も得ている。

デスクに座ると、小林先輩が声をかけてきた。
「おはよう、佐藤くん。今日は、制作部の森さんと一緒に、入稿作業を見てもらうわ。」
「おはようございます。入稿作業、ですか。」
「そう。デザインが完成したら、印刷会社にデータを送る。これが入稿よ。ただ、印刷会社にはいろんなルールがあって、それを守らないと受け付けてもらえないの。」
小林先輩は、資料を開いた。
「今日の案件は、飲料メーカーの新商品キャンペーン。山手線の5駅に、B0サイズのポスターを2クール掲出する。デザインはもう完成してるから、今日はデータをチェックして、印刷会社に送るだけ。」
「データをチェックする、ですか。」
「そう。サイズ、解像度、色設定、ファイル形式。全部確認してから送らないと、後で差し返しになるの。これが結構大変なのよ。」

 

制作部へ

10時、佐藤は小林先輩と一緒に、同じフロアの奥にある制作部へ向かった。
制作部は、デザイナーや進行管理の担当者が集まる部署だ。壁には、過去の広告ポスターが貼られていて、クリエイティブな雰囲気が漂っている。

「おはようございます。小林さん。」
声をかけてきたのは、制作部の森さんだった。30代前半、メガネをかけた、落ち着いた雰囲気の男性だ。
「おはようございます。森さん、今日はよろしくお願いします。こちら、研修中の佐藤くんです。」
「佐藤です。よろしくお願いします。」
「よろしく。じゃあ、早速入稿データのチェックを始めましょうか。」
森さんは、デスクのモニターを開いた。

 

一つのミスが命取り

「まず、入稿規定について説明しますね。」
森さんは、分厚いファイルを取り出した。

「これが、印刷会社の入稿規定。ポスターのサイズ、解像度、カラーモード、ファイル形式、全部細かく決まってます。」
ファイルを開くと、そこには細かい文字がびっしりと書かれている。
「B0サイズ、1030mm×1456mm、解像度350dpi、カラーモードCMYK、ファイル形式AI、トンボ付き、塗り足し3mm。」

佐藤は、意味がよくわからない。
「これ、全部守らないとダメなんですか。」
「そう。一つでも間違えると、差し返しになる。で、差し返しになると、スケジュールが遅れて、最悪の場合、掲出に間に合わなくなる。」
森さんは、真剣な顔になった。
「入稿作業って、地味だけど、すごく重要なの。ここでミスすると、これまでの苦労が全部水の泡になる。」

 

細部との戦い

「じゃあ、実際にチェックしていきましょう。」
森さんは、Adobe Illustratorを開いた。画面に、飲料メーカーのポスターデザインが表示される。
鮮やかな青と緑の配色。爽やかな飲料のボトル。キャッチコピーは「夏を、爽やかに。」
「まず、サイズ。B0、1030mm×1456mm。」
森さんは、Illustratorのメニューから「ファイル」→「ドキュメント設定」を開いた。
「アートボードのサイズ、1030×1456、OK。」

「次、解像度。これは、画像の細かさを表す数値で、350dpiが印刷用の標準です。dpiっていうのは、1インチあたりのドット数。数字が大きいほど、高精細になります。」
ポスターに使われている商品画像を選択して、画像情報を確認する。
「解像度350dpi、OK。」

「次、カラーモード。CMYKになってるか確認します。」
森さんは、「ファイル」→「ドキュメントのカラーモード」を確認した。
「CMYKっていうのは、印刷用の色設定。シアン、マゼンタ、イエロー、ブラックの4色で色を表現するの。パソコンの画面はRGB、つまりレッド、グリーン、ブルーで色を表現してるんだけど、印刷はCMYK。これを間違えると、色が全然違って印刷されちゃうから、注意が必要なのよ。」
「CMYK、OK。」

「次、塗り足し。3mm。」
森さんは、アートボードの外側を拡大して見せた。デザインが、アートボードの外側に3mmはみ出ている。
「塗り足しっていうのは、印刷物を裁断するときのズレを考慮して、デザインを少しはみ出させておくこと。もし塗り足しがないと、裁断時に少しズレただけで、端に白い部分が出ちゃうの。だから、3mm余分にデザインを伸ばしておくのよ。」
「塗り足しあり、OK。」

「次、トンボ。」
アートボードの四隅に、小さな十字マークのようなものが付いている。
「トンボっていうのは、印刷物を正確に裁断するための目印。トリムマークとも言うわ。この線に沿って裁断することで、正確なサイズに仕上がるの。トンボがないと、どこで切ればいいかわからなくなっちゃう。」
「トンボあり、OK。」
森さんは、一つ一つ丁寧にチェックしていく。

佐藤は、横で見ながら、メモを取っていた。
「このチェック、毎回やるんですか。」
「そう。毎回。何回やっても、ミスは出るの。だから、チェックリストを作って、一つ一つ潰していく。」
森さんは、チェックリストにチェックマークを入れていく。

 

見えない落とし穴

「あと、もう一つ大事なチェックがあります。文字のアウトライン化。」
「文字のアウトライン化、ですか。」
「そう。Illustratorでは、テキストをそのまま入稿すると、印刷会社の環境にフォントがない場合、文字が化けてしまうの。だから、テキストを図形に変換する。これを、アウトライン化って言います。」
森さんは、メニューから「書式」→「アウトラインを作成」を選択した。
ポスター上のすべてのテキストが、一瞬で図形に変換された。
「これで、どの環境でも、同じように表示されます。ただ、アウトライン化すると、テキストの編集ができなくなるから、必ず元データは別で保存しておくの。」
「なるほど。」

森さんは、チェックリストに最後のチェックマークを入れた。
「よし、全部OK。じゃあ、これで保存します。」

 

緊張の保存作業

「入稿データは、AI形式で保存します。」
森さんは、「ファイル」→「別名で保存」を選択した。
「ファイル形式は、Adobe Illustrator(AI)。バージョンは、印刷会社が指定してるバージョンに合わせます。今回は、Illustrator 2020形式。」
「フォント埋め込み、チェック。これをチェックしておくと、フォント情報がファイルに含まれるから、印刷会社の環境にフォントがなくても、正しく表示されるの。」
「PDF互換ファイル作成、チェック。これをチェックしておくと、Illustratorを持ってない環境でも、PDFとしてファイルを開けるから、確認作業がスムーズになるのよ。」
森さんは、設定を一つ一つ確認しながら、保存した。
「これで、入稿データの完成。でも、まだ終わりじゃないわ。」

 

最後のチェック

「保存したAIファイルを、もう一度開いて、最終確認するの。」
森さんは、今保存したばかりのファイルを開いた。
画面に、デザインが表示される。
「まず、全体を見て、レイアウト崩れがないか確認。」
「次、拡大して、文字がつぶれてないか、画像がぼやけてないか確認。」
「次、トンボが正しく表示されてるか確認。」
森さんは、拡大と縮小を繰り返しながら、細かくチェックしていく。
「よし、問題なし。これで入稿できる。」
佐藤は、森さんの細かいチェックに、プロの仕事を感じていた。

 

入稿という瞬間

「じゃあ、印刷会社に送ります。」
森さんは、ブラウザで、ファイル転送サービスを開いた。
「データが重いから、メールじゃなくて、ファイル転送サービスを使うの。」
AIファイルをアップロードして、ダウンロードURLを取得する。
「で、印刷会社にメールを送る。」
件名:【入稿】○○飲料 B0ポスター
「お世話になっております。森です。○○飲料のB0ポスター、入稿いたします。データは以下URLからダウンロードしてください。掲出期間:5月28日〜6月10日。掲出駅:東京メトロの渋谷、表参道、赤坂見附、新橋、銀座。枚数:各駅2枚、合計10枚。よろしくお願いいたします。」
送信ボタンを押した。

「これで、入稿完了。後は、印刷会社から確認の連絡が来るのを待つだけ。」
森さんは、ホッとした表情になった。

 

広告が形になるまで

「入稿した後は、どうなるんですか。」
佐藤が聞いた。
「印刷会社が、データをチェックする。問題なければ、『受理しました』って連絡が来る。で、色校正を作ってもらって、色味を確認する。」
「色校正、ですか。」
「そう。簡易校正と本紙校正の2種類があるの。簡易校正はカンプとも呼ばれていて、大まかな色味のチェックやデザインのずれがないかを確認する。ただし、実際に製品に使用する紙じゃないから、色味は微妙に異なることがあるわ。」

森さんは、続けた。
「本紙校正は、実際に製品に使用するのと同じ用紙を使う。だから、実際出来上がってくる製品とほぼ同じ仕上がりで確認できる。ただし、本紙校正は料金も高い。今回は、予算の関係で簡易校正にしてるわ。」
「なるほど。」
「色校正でOKが出たら、本印刷に進む。印刷には3日から4日かかるから、スケジュールに余裕を持って進めないといけないの。」
「印刷が終わったら、製品が宅配便で届く。で、製品をチェックして、問題なければ、媒体社に発送する。媒体社が掲出作業をして、掲出が完了したら、私たちが現地に行って、写真を撮る。で、その写真をクライアントに送って、クライアントが確認する。これで、一連の流れが完成。」
佐藤は、広告制作の流れが、ようやく全体像として見えてきた気がした。

 

差し返しの恐怖

「森さん、入稿で差し返しになったこと、ありますか。」
小林先輩が聞いた。
「ありますよ。何回も。」
森さんは、少し苦笑いした。
「一番多いのは、解像度不足。画像の解像度が低くて、印刷すると粗くなってしまう。次に多いのは、カラーモードの間違い。RGBで作っちゃって、CMYKに変換してない。」
「あと、塗り足しがないとか、トンボが付いてないとか。細かいミスは、いくらでもある。」
「だから、チェックリストを作って、一つ一つ確認するのが大事なんです。」
森さんは、チェックリストを見せた。
「このチェックリストがあれば、ミスは大幅に減らせる。でも、それでもミスは起きる。人間だからね。」
佐藤は、入稿作業の大変さを、改めて実感した。

 

今日の学び

午後、佐藤はデスクに戻って、今日学んだことをノートに書き出していた。

入稿規定。サイズ、解像度、カラーモード、ファイル形式、トンボ、塗り足し。
文字のアウトライン化。
AI形式での保存。
ファイル転送サービスでの送信。
色校正。簡易校正と本紙校正。
印刷、製品チェック、媒体社への発送、掲出作業、現地確認。
一つの広告を掲出するまでに、こんなにも細かい工程があるとは、思っていなかった。

月曜日は、企画。火曜日は、デザイン。水曜日は、プレゼン。
どれも華やかに見える仕事だった。クライアントの前で話したり、デザイナーと打ち合わせたり。
しかし今日見た入稿作業は、違った。
地味だ。誰の目にも触れない、裏方の仕事だ。
しかし、森さんは言った。「ここでミスすると、これまでの苦労が全部水の泡になる」と。
そして、それぞれの工程で、専門の担当者がいて、丁寧にチェックをしている。
広告代理店の仕事は、華やかに見えるかもしれない。しかし、実際は地味な作業の積み重ねだ。
しかし、だからこそ、完成したときの達成感があるのだろう。

明日、深夜の現場で、自分は何を見るのだろう。
佐藤は、少し緊張と、そして期待を感じていた。

時計を見ると、午後5時半。定時だ。
小林先輩が、声をかけてきた。
「佐藤くん、今日はここまで。お疲れさま。明日は、いよいよ最終日。夜中に、サインボードの設置現場に立ち会ってもらうわ。深夜0時過ぎ、首都地下鉄の千代田駅。広告の裏側を、目で見て学んでもらう。」
「はい、楽しみです。」
「ただ、金曜日の夜は遅くなるから、今日はしっかり休んでおいてね。」
「わかりました。」
佐藤は、パソコンをシャットダウンして、オフィスを後にした。

 

帰り道

夜の街を歩きながら、佐藤は今週を振り返っていた。
月曜日、媒体提案。駅を選び、予算を計算し、資料を作る。
火曜日、デザイナーとの打ち合わせ。キービジュアル、トーン&マナー、撮影。
水曜日、クライアントプレゼン。企画を伝え、承認をもらう。
木曜日、入稿作業。入稿規定チェック、AI形式での保存、印刷会社への送信。
そして明日、金曜日。深夜のサインボード設置立ち会い。
1週間で、広告制作の全体の流れを体験している。

まだ、すべてを完全には理解できていない。しかし、少しずつ、この業界の仕事が見えてきている。

明日の夜、自分も、あのサインボードが設置される現場に立ち会う。
き電停止、鉄道監視員、深夜の駅ホーム。
広告の裏側を、この目で見ることになる。
佐藤は、電車に乗り込んだ。
広告業界での、4日目が終わった。

 

 

運営者情報

運営者
株式会社キョウエイアドインターナショナル
住所
東京都千代田区内幸町2-2-3 日比谷国際ビル17階
お問い合わせ
https://kyoeiad.co.jp/contact/
電話番号
0120-609-450

関連記事