2025年12月22日
交通・屋外広告広告代理店の研修シリーズ② 企画
今日からOJT(On-the-Job Training)が始まる。
今週は、小林先輩が担当する複数の案件に同行しながら、広告制作の全体の流れを学ぶ。月曜日は、化粧品ブランドの新規案件。クライアントに提案する媒体プランを作る、企画フェーズだ。
広告制作は、まず媒体を選ぶことから始まる。どの駅に、どのくらいの予算で、どのような広告を出すのか。ターゲットの生活動線を考え、最適な場所を選ぶ。
ここでは、佐藤が初めて経験する媒体提案について説明していく。
目次
研修2日目の朝
研修2週目の月曜日。佐藤は、緊張から少し早めに、8時半にオフィスに到着した。
先週は全体研修で、会社の仕組みや規則を学んだ。しかし今週からは、本格的な現場研修だ。小林先輩が担当している複数の案件に同行しながら、広告制作の全体の流れを学ぶ1週間が始まる。

デスクに座ると、小林先輩がすでに来ていた。
「おはよう、佐藤くん。早いわね。」
「おはようございます、小林先輩。緊張して、早く来てしまいました。」
「ふふ、その気持ちわかるわ。私も新人の頃、そうだったもの。」
小林先輩は、分厚い資料を取り出した。表紙には「JR東日本 媒体資料」と書かれている。
「今日は、化粧品ブランドの新規案件よ。クライアントに提案する媒体プランを作るの。一緒にやりましょう。」
交通広告という世界
「まず、交通広告って何か、わかる?」
小林先輩が聞いた。
「駅や電車の中に出す広告、ですよね。」
「そう。でも、交通広告にもいろんな種類があるの。大きく分けると3つ。駅広告、車内広告、デジタルサイネージ。」
小林先輩は、資料のページをめくった。
駅広告とは
「駅広告は、駅の構内に出す広告全般のこと。駅貼りポスター、サインボード、電照看板、大型シート広告とか、いろいろあるわ。」
そこには、駅の図面と、広告を掲出する位置が細かく記されている。
「駅貼りポスターは、改札の横とか、コンコースの壁とか、人が必ず通る場所に貼るから、接触率が高いの。サインボードは、ホームから見える位置に設置する大型の看板ね。」
「サインボードって、ホームの向かい側にあるやつですか。」
「そう。壁面がある場所なら、ホーム対向壁サインボード。壁がない場所なら、建植看板といって、柱を2本以上立てて看板を設置するの。改札周りの階段見附部分とか、コンコース周り、駅舎の外向きっていう場合もあるわ。地下鉄だと、電照看板といって、内側から照明で照らすタイプもあるのよ。」
佐藤は、メモを取った。建植看板、階段見附、初めて聞く言葉だ。
車内広告とは
「車内広告は、電車の中に出す広告。中吊り、窓上、ドア上、ドア横、妻面とか、車内のあらゆる場所が広告スペースになってるの。」
「妻面、ですか。」
「そう。車両の端の壁面ね。中吊りは通勤中によく見るでしょ?最近はみんなスマホ見てるから、効果が落ちてるって言われてるけど、まだまだ需要はあるわ。」
デジタルサイネージとは
「デジタルサイネージは、モニターに映像を流す広告。駅構内だけじゃなくて、電車の車内とか、ホーム対向壁にも設置されてるの。15~30秒の動画を流すんだけど、音は出ないから、字幕必須なのよ。」
小林先輩は、コーヒーを一口飲んだ。
「今回は、駅貼りポスターとサインボードの組み合わせ。だから、デジタルサイネージの話はまた今度ね。」
500万円という責任

「じゃあ、今日の案件について説明するわね。」
小林先輩は、クライアント資料を開いた。
「クライアントは、働く女性向けの化粧品ブランド。ターゲットは20代から30代。オフィスで使える、ナチュラルメイクの商品よ。予算は税込500万円。」
「500万円、ですか。」
「そう。この予算で、山手線の主要駅にサインボードとB0サイズのポスターを組み合わせて出すの。サインボードは年間契約、ポスターは1クール掲出。」
「1クール、ですか。」
「そう。1クールは7日間。月曜から日曜まで。交通広告は、基本的にこの1クール単位で動くわ。2週間なら2クール、1ヶ月なら4クールって感じ。」
佐藤は、メモを取った。1クール、7日間。
「で、今日やってもらうのは、媒体提案の資料作り。どの駅にサインボードを設置して、どの駅にポスターを貼るか。これを決めるの。」
数字と人の流れを読む
小林先輩は、別の資料を開いた。そこには、山手線の全駅と、各駅の1日あたりの乗車人数が記されている。
「1日の乗車人数。JR新宿駅、65万人。JR池袋駅、49万人。JR東京駅、40万人。JR渋谷駅、31万人。JR品川駅、27万人。」
佐藤は、数字の大きさに驚いた。
「すごい数ですね。」
「でしょ。でも、乗車人数が多いからって、そこに出せばいいってもんでもないのよ。ターゲットがどこにいるか、それを考えないと。」
小林先輩は、クライアント資料を指差した。
「今回のターゲットは、20代から30代の働く女性。オフィスで使える、ナチュラルメイクの商品。じゃあ、どの駅がいいと思う?」
佐藤は、少し考えて答えた。
「新宿、渋谷、池袋ですか。」
「まあ、王道よね。でも、それだけじゃ弱いわ。オフィス街はどこ?」
「東京駅、品川駅。」
「そう。オフィス街の駅も押さえないと、ターゲットに届かない。それから、住宅街の駅。恵比寿、目黒。このあたりも、働く女性が多く住んでるの。検討材料ね。」
小林先輩は、地図にマーカーで印をつけていった。
「駅を選ぶときは、3つの視点で考えるのよ。ターゲットが住んでる場所、働いてる場所、遊んでる場所。この3つを押さえれば、接触回数が増えるわ。」
長期と短期、二つの戦略

「今回の予算は500万円。この予算で、サインボードと駅貼りポスターを組み合わせるの。」
小林先輩は、料金表を開いた。
「新宿駅のサインボード。場所によって料金は違うけど、年間契約で月額30万円くらい。12ヶ月で360万円。それに制作費と作業費で40万円。サインボードだけで、合計400万円。」
「年間契約、ですか。」
「そう。サインボードは、基本的に短期では出さないの。半年とか1年の長期契約が基本。ブランドの認知を、じわじわ上げていくイメージね。」
小林先輩は続けた。
「で、残りの予算が100万円。これで、駅貼りポスターを出すの。B0サイズ、1クール。新宿、渋谷、池袋、東京、品川の5駅。」
「B0って、どのくらいの大きさですか。」
「1030mm×1456mm。B1の2倍の大きさよ。結構インパクトあるわ。」
小林先輩は、計算式を見せた。
「B0サイズ、1クール7日間の料金。新宿と渋谷がランクSで、1駅84,000円。池袋、東京、品川がランクAで、1駅76,000円。」
新宿:84,000円
渋谷:84,000円
池袋:76,000円
東京:76,000円
品川:76,000円
合計:396,000円
「で、ポスターの印刷費が、B0サイズ5枚、色校正ありで8万円くらい。デザイン費が5万円、必要経費が2万円。」
広告料金:396,000円
印刷費:80,000円
デザイン費:50,000円
必要経費:20,000円
小計:546,000円
「サインボードが400万円、ポスターが約55万円。合計で455万円くらいね。」
佐藤は、計算を追いかけながらメモを取った。
「あれ、でも予算500万円より、だいぶ少ないですね。」
「ここに消費税が入るのよ。税込だと500万円を少し超えるから、必要経費のところで調整して、ちょうど500万円に収めるわ。」
「あ、消費税忘れてました。それと、出精値引き、ですか。」
「そう。端数を調整するために、こちらで値引きするってこと。よくあるのよ、この業界。」
小林先輩は、コーヒーを飲み干した。
「さて、じゃあ実際に資料を作ってもらおうかしら。」
数字という海で溺れる
「この媒体資料を読み込んで、どの駅にサインボードを設置して、どの駅にポスターを貼るか、予算内で最適なプランを考えてちょうだい。締切は今日の15時。渡辺部長に見せるから。」
佐藤は、分厚い媒体資料を開いた。そこには、山手線の全駅、各駅の掲出場所、サイズ、料金が、細かく記されている。
「小林先輩、さっき説明してもらった構成で進めればいいんですか。」
「いや、それは私の案。佐藤くんは佐藤くんで、自分で考えてみて。ターゲットを考えて、最適な駅を選ぶ。それがプランナーの仕事だから。」
小林先輩は、少し意地悪そうに笑った。
「ヒントを出すなら、ターゲットの生活を想像すること。朝、どこの駅から乗る?昼、どこの駅で降りる?夜、どこの駅で遊ぶ?その動線に広告を置くのよ。」

佐藤は、もう一度クライアント資料を読み直した。
20代から30代の働く女性。オフィスで使える、ナチュラルメイク。
朝は住宅街の駅から乗って、昼はオフィス街の駅で降りる。夜は繁華街の駅で遊ぶ。
住宅街なら、恵比寿、目黒。
オフィス街なら、東京、品川、新宿。
繁華街なら、渋谷、池袋、新宿。
新宿は、オフィス街でもあり、繁華街でもある。だから、絶対に外せない。
そして、サインボードを設置するなら、やはり新宿だ。乗車人数が多く、インパクトがある。
佐藤は、Excelに数字を入力し始めた。
サインボード
新宿駅:月額300,000円×12ヶ月=3,600,000円
制作・作業費:400,000円
小計:4,000,000円
駅貼りポスター
新宿:84,000円
渋谷:84,000円
池袋:76,000円
東京:76,000円
品川:76,000円
広告料金合計:396,000円
印刷費:80,000円
デザイン費:50,000円
必要経費:20,000円
小計:546,000円
合計
税抜小計:4,546,000円
税込:5,000,600円
600円オーバーするから、経費から545円値引きして
必要経費:19,455円 とすると
税抜小計:4,545,455円
最終金額:5,000,000円
小林先輩と同じ構成になった。しかし、考えた結果がこれなら、それでいいはずだ。
「できました。」
佐藤は、小林先輩に画面を見せた。
「おお、私と同じ構成になったわね。まあ、王道を押さえるとこうなるわよね。」
小林先輩は、頷いた。
「ただ、一つだけ。サインボードを新宿に設置した理由は?」
「乗車人数が一番多いからです。」
「正解。新宿は、1日65万人が利用する、日本最大級のターミナル駅。サインボードを設置すれば、毎日何十万人もの目に触れるわ。費用対効果で考えれば、間違いない選択よ。」
小林先輩は、満足そうに笑った。
「じゃあ、これで資料を作ってちょうだい。パワポで、1枚にまとめて。」
資料は語る

佐藤は、PowerPointを開いた。真っ白なスライドが、目の前に広がる。
どうやって作ればいいのか、わからない。
「小林先輩、どういうフォーマットで作ればいいですか。」
「ああ、ごめんね。これ使って。」
小林先輩は、別のファイルを開いた。そこには、過去の媒体提案資料があった。
タイトル、媒体名、駅名、サイズ、期間、料金、合計。シンプルな表形式だ。
「これをベースに、今回の内容に置き換えて。」
佐藤は、表を作り始めた。駅名を入力し、料金を入力し、合計を計算する。
30分後、資料が完成した。
「小林先輩、できました。」
「見せて。」
小林先輩は、画面を見た。数秒、黙って見つめた後、口を開いた。
「うん、悪くないわ。でも、これだと渡辺部長には通らないわね。」
「えっ、何がダメですか。」
「まず、タイトル。『媒体提案』じゃ弱いの。何の媒体提案なのか、一目でわからない。クライアント名を入れて、『○○化粧品ブランド 交通広告キャンペーン 媒体提案』って書いて。」
佐藤は、修正した。
「それから、合計金額が目立ってない。部長が最初に見るのは、予算内に収まってるかどうか。合計金額を赤字で大きく書いて、『予算内』って一言添えて。」
佐藤は、修正した。
「それから、サインボードとポスターを分けて書いて。メインがサインボードで、サブがポスターっていう構成が、一目でわかるようにするの。」
佐藤は、表を2段に分けて、サインボードとポスターを別々に記載した。
「それから、駅の選定理由が書いてない。なぜこの駅を選んだのか、ターゲットとの関連性を説明する一文を入れて。」
佐藤は、スライドの下に、説明文を追加した。
「ターゲットである20代から30代の働く女性の生活動線を考慮し、新宿駅にサインボードを設置して長期的な認知を図り、主要駅にポスターを掲出して接触機会を最大化する構成としました。」
「いいわね。じゃあ、これで渡辺部長に見せに行きましょう。」
沈黙の30秒
会議室に入ると、渡辺部長がすでに座っていた。穏やかな表情だが、目は鋭く資料を見つめている。
「佐藤くん、資料できたか。」
「はい、できました。」
佐藤は、ノートパソコンを開いて、資料を映した。

渡辺部長は、じっと画面を見ている。30秒ほどの沈黙。佐藤の心臓が、ドクドクと音を立てる。
「うん、悪くないね。ちゃんとターゲットの動線を考えてるし、予算内に収まってる。初めてにしては、よくできてる。」
佐藤は、ほっとした。
「ただ、一つだけ確認したい。」
渡辺部長は、資料を指差した。
「サインボードを年間契約にした理由は?」
佐藤は、少し考えて答えた。
「小林先輩が、サインボードは年間契約が基本だと。」
「小林さんに聞いたのか。なるほどね。」
渡辺部長は、少し笑った。
「年間契約っていうのは、確かに基本だ。でも、なぜ年間契約なのか、考えたことはあるか。」
「いえ、ありません。」
「ブランドの認知を上げるには、継続的な接触が必要なんだ。1ヶ月や2ヶ月だと、見た人が忘れてしまう。でも、1年間、毎日同じ場所に広告があれば、無意識のうちにブランドが刷り込まれる。これが、サインボードの強みなんだよ。」
渡辺部長は、続けた。
「逆に、ポスターは短期で出す。1クール、7日間。鮮度が大事だから。新商品の発売に合わせて、一気に認知を取る。サインボードとポスターを組み合わせることで、長期と短期、両方の効果を狙うんだ。」
佐藤は、深く頷いた。
「わかりました。ありがとうございます。」
「よし。じゃあ、これで水曜日、クライアントにプレゼンしよう。佐藤くんも同席してくれ。」
「はい、ありがとうございます。」
はじめての手ごたえ
会議室を出ると、小林先輩が待っていた。

「どうだった?」
「年間契約にした理由を聞かれました。」
「ああ、渡辺部長は、必ず『なぜ』を聞いてくる人だから。答えられた?」
「最初は答えられなかったんですけど、部長が説明してくれました。」
「そうか。まあ、それも勉強よ。次からは、自分で理由を考えてから提案するようにして。『なぜ』に答えられないプランナーは、クライアントに信用されないからね。」
小林先輩は、窓の外に目をやりながら言った。
佐藤は、心の中で反省していた。媒体を選ぶ理由、予算を組む理由。すべてに「なぜ」がある。それを説明できなければ、提案は通らない。
しかし、初めて自分で作った提案資料が、部長に「悪くない」と言ってもらえた。それだけで、少し自信がついた。
「初日、お疲れさま。明日は別の案件で、デザイナーとの打ち合わせがあるわ。また違う世界を見せてあげる。今日は早めに帰って休んでね。」
佐藤は、頷いた。
時計を見ると、午後5時半。定時だ。
「はい、ありがとうございました。」
佐藤は、パソコンをシャットダウンして、オフィスを後にした。

夕暮れの街を歩きながら、佐藤は今日一日を振り返っていた。
駅広告、車内広告、デジタルサイネージ。
サインボード、建植看板、年間契約、長期的な認知。
駅貼りポスター、1クール、短期的な認知。
ターゲットの生活動線。住んでる場所、働いてる場所、遊んでる場所。
出精値引き。
まだ、すべてを完全には理解できていない。しかし、媒体提案という仕事の流れは、少しだけ見えてきた。
駅のホームで電車を待ちながら、佐藤は向かい側のサインボードを見上げた。
あの広告も、誰かがこうやって、駅を選んで、予算を計算して、資料を作って、設置されたのだろう。
明日は、デザイナーとの打ち合わせ。
キービジュアル、トーン&マナー。
また新しい言葉が、飛び交うのだろう。
しかし、少しずつ、この業界の流れが見えてきている。
佐藤は、電車に乗り込んだ。
広告業界での、本当の仕事が、始まっている。





